夜中布団の中で考えること

夜中に寝れなくなった時に考えたことをぽつぽつと書いていきます。専らやらなければならないことのメモ。

冠婚葬祭②

夫が言うには、残業でへとへとになって帰宅したら「スマホ見てないの?」と唖然とした嫁が立っていた、らしい。

夫は残業の後、とにかく疲れたので帰って休みたいと急いで帰ってきたばかりで大変だっただろうに、私のスマートさの欠片もない報告によく耐えてくれたと今更思う。
危篤だと連絡が来た、しか言わない私に、夫は今から行くのか、行きたくないのかどっちかとしか聞かなかった。
散々ごにょごにょ言ったあとに行く、と返事をしたら、じゃあ、まず着替えて。と当たり前のことを指摘された。
この時点で寝間着のままだった自分の混乱ぶりが良く分かる。

夫が会社に電話しているのを見て、ようやく動き出せるようになり、三日分程度のにもつを鞄に詰め込み、家を空ける準備に取り掛かった2時半頃。

病院からの2回目の電話が鳴った。

その電話に出るとき、もしかしてという気持ちと早く来いという催促じゃないかと言う気持ちは未だに半々だったのは覚えている。

看護士の言い方は曖昧だったが、言いたいことは伝わった。

死亡の確認は基本的に親族の前で行うが、遠方の場合は病院側で済ませることもできるし、到着を待って確認することもできる。

つまり、その時点で終わっていた。
危篤の知らせからわずか一時間で、孫を見せることなく他界してしまった。

看護士からの電話は夫に引き継いでもらった。
良く分からないが、その瞬間はこの看護士さん曖昧な言い方をするなとか、はっきり言いなさいよとか、そんなどうでもいいことで頭がいっぱいだった。

そこからは普通に鞄に荷物を詰め、娘の荷物が一番多くなるねとか簡単に会話しながら準備を終わらせた。
行きがけにコンビニに寄って、眠気覚しのコーヒーを買ったり水道料金を支払ったりした。
夜食に買ったおにぎりを食べて、仕事で疲れているのに運転してくれている夫の横で1時間ほど寝かせてもらった。

病院についた頃には日の出の時間も過ぎていた。
ナースセンターの近くまで行くと、こちらに気付いた看護士さんが病室へと案内してくれた。
どの看護士さんも口々に、遠いところからお疲れ様ですとか、こんな小さいお子さんがいるのに大変でした、と労ってくれて、病院で未だかつてない厚い待遇を受けた。
それくらい病院にトラウマがあるのかと自分でも驚くほど根に持っていることが判明した。

病室には、白いバンドで顎を固定された父が居た。
そのままにしておくと、口があいてしまうらしい。
ドラマなどでは口は皆一様に閉じている記憶しかないが、死後硬直のなせる技だったのだろうか…。
病室でしばらく待った後、担当の医師が死亡確認しに来てくださった。
父は救急で運ばれた後、衣類を持ってくる前に無くなったようで病衣以外持っておらず、夫が最近着ていなかったシャツとボトムを着せられた。
下着が要るのか確認しないでかけつけたので、念のため購入してきた男性用下着は無駄になった。

手続きを待っている間、とにかく疲労していた夫は病院のロビーや患者食堂などて細切れの睡眠を摂り、少しでも体力の回復をしてくれた。

結局この日、市役所にて手続きをこなしている間に車のシートで1時間半程寝て、夜の9時まで夫は運転手を努めてくれました。

良く考えたら細かい手続きについては書く事ないというか、書きづらいし詳細は書けないという。

現在は父の遺骨と共に山梨に帰ってきましたが、まだ手続きは残っているという。
全部終わったら、必要だったものや手続きについて備忘録的に書こう。


ちなみに、私はやらなければいけないことが多くて動かざるを得ない為いつも通りでしたが…主人は風邪、娘は最初は大人しかったけど知らない場所、よく吠える犬、知らない人、車での移動にストレスが溜ってしまってお腹にきてしまったようです。
他に縁無しだから私が動かざるを得ないし、状況的にはしょうがなかったけど可哀想すぎた…。

ここ二日は好きなだけ遊ばせて、いっぱい一緒にごろごろしてます。
土日は事務手続きできないから、焦ってもしょうがないので。

今回ある程度手続きして分かったことは、

いらないものは捨てよう

家具家電は最低限にしよう

生命保険に入ろう

ですね。
残される人のことを考えたら、下手に死ねないのは間違いない。
今後の目標ができました。